ちょっとした簡単なテスト2
ちょっとした簡単なテスト
逃げること
じっさい考えないといけないことなんてあるのかな
あきらかにかんがえる習慣もなにもないひとが
いい車かったり素敵なじんせいをいきてるじゃないか
なにもやりたくなかったらやらなければいいさ
でもいまはできないだろ 少なくても
にげこむさきはあるフォームというかスタイルであって、
これさえ続ければもういっしょうこまらないという
性質ににげこむんだよ
楽しむのはそれからのはなし
なにもないつまらないところで愉しさを見だせてどうするんだよ
それはいみのないこと
**
機動力
実装力
哲学
**
訓練を受けている人たちは渋谷できゃっきゃしてる人達やちゃらちゃらしたひとが努力や経済について語っている同じ地面のうえで
泥だらけになってはいつくばってるのだ
かれらのメンタルは相当なものなのか だけど30や40になったあとに
事業をやろうとしても知識がないため 上手くいかないだろう
**
ばぶみというが
かんぜんになにもできないで 赤ちゃんとしてすべてお世話されるのよりも
年を取って ご主人さまがいた方が まだ楽しいかもしれない
やるべきことを そのあいだの苦痛もあわせて
全部たのしむには
そういうゆめがあったほうが楽しいのではないか
漫画のなかのアンドレのような
それで家族写真を待ち受けにするように
条件付けもおこなってな
*
手段はどうでもいいということで
*
これしかないのか
*
しかしいまのところけっきょくはただどこかでつかれるという
*
それでもいくぶんはましであるけど
*
なんでこういうこといっこもできんのやろ
意味もなく嫌な思いをするのはよくないことだな
頭の良いひとは頭の悪い人から非難されても気にする必要がない
5000万とか1億とかかせいでいくと、明らかに嫉妬されるのがわかる
男ですらこれだから女性で容姿がよくて才覚もあるひとは、
なおさらだろう。
留まる人以上に進むひとは孤独に感じることがある
友達だったひとが友達でなくなる
嫌なものもみえてくる
そのときできることはいままでの過去に感謝して
さらに振り切るだけのことだ
君ならそれができる
3ねんたっても同じことをいっているようなひととつきあうことはない
あのひとは誰も友だちがいないといっていたし、
彼も昔の親友からの連絡はすべて無視しているといっていた。
彼らと仲良く語り合うことはないけど、
どこかつながりを感じる
しかし気にする必要ないと思っても数秒は嫌な気持ちになるものだね
まだ修行がたりないのだろうけど
毎日目に見える形で何百もの悪口を言われてる人たちはすごいね
敬意をもつよ
しかし0になるというのはいいことだ
ますます楽しくなってくる
しかし地の底にいても
天井にいても
たいして違いがないことは
おもしろい
しかしそれだとどこに比重を置くのが
一般的な答えなんだろう
幸福を達成するということはおいておいても
ぼくたちはなにか永遠なるものを探しているはずだ
idealismだろうか?
美しさ
永遠の美しさに触れることで
DMNになる
それでは抽象的だ
それというのか
頭がもう腐って使い物にならないので代わりに蟹みそでもつめて人口知能でいきていくしかない
かりに全部がセックスの予兆になったとしてもそれでもできないんだよ
ただカントは唯一の手掛かりカモしれない
だって今までと同じようにアドラーとデールに信頼を寄せてみたってなにも変わらない気がするから
多少何かやることに色が付く可能性はあっても、
リターンが少なすぎるし、あえてもう一度やる必要はない
しかも全部オリジナルじゃないといけないとかいうルールもあって
大抵のツイッター弱者にはきついのじゃないか
かたいテーマのもつやっかみとか
theme
同じテーマで2週間以上もっていたことがわが人生においてありましたでしょうか、と考えたとき、このメモブログの意味のないタイトルとかドメインネームとかそういうのが、気持ちいいんですよ。いつまでたっても飽きない感じがとっても素敵だし、お前もまねろと、上から目線でいうのも一興なり
思想
最高にいいと思った思想においてテンションが最高潮にあがったあと3日くらいたって「あれやっぱちがうな」と思うのは白いおしっこピュッピュしたあとの賢者タイムとにており、ということに気付く。
とはいえ、「思考の放棄」を目指す試みの有効性については70時間たったくらいのいまでも、まあ良い気がするんだよ。
それと、今日はそれに加えて芸術論に関する最高の本を見つけてしまったので、
というかあれ、これ十分に面白いのでは??面白くねえか
それでその本によると美意識を基本の軸とする人生は価値のあるものであってしかも実用的というTVショッピングもびっくりのハイセンスっぷりが発揮されているわけよ。
ただこの本を読んだ後に改めて美意識ってなんだっけっていう疑問が浮かんでしまって。
少し前までは収束させることとA次元の概念だけでも何か出来そうな気はしていたんだけど、ここからどうもっていくのか。
>ナートマン 自我を持たない 非自我のもの
>ナートマン瞑想 空の瞑想
>瞑想 ある観念を前に想いを抱くための姿勢
>自由意志 という発明
>思考を奪うものが必要だということ
>おそらくそのニュアンスで 美しいもの=言葉を必要としないもの
>疲れてても美しいものとは。
>それが何?という思想
>>自由なもの・形をもたないもの
>>形がないのだから自由なゴールが求められるという発想
>>臨場感を感じるところが現実
>>アトモスフィア>センス of グループ(罪の文化<恥の文化)> Style
>>超越理論(マジック的な?)
>>半眼(ぼんやりとした観察)
>>フラット(連続性)
>>2冊目 危険意識をもって使えば有効
>>ナートマンとしてemptinessへ行くとして。
>>美意識は不要か?そもそもそれが美意識の対象かもしれないな。
A次元で遊ぶのはいい?
結局つまらない暮らしを続けることはかわらない。
本に書いてあることは実践することによって復習できる
カントを読むか読まないか
エッチであること
0)ナートマン瞑想に基づいて
1)解消に向かうこと
2)その目的は美意識を満たすこと
戦略
1)groupとatomosphere
2)かんさつ/みる だけにする
とあるひとの企業を振り返った記事をよんで。
「実装のスピード」が大事というのは同意。事業へ確信がある必要がないっていうのもわかる。失敗することが多いので次々に出す瞬発力があることが必要だろう。
ここのところの読書感
けっきょくよんでもいざやろうとしたらけだるいってはわかる。
スポーツ
彼のやる試行錯誤とゾーンの話は見るものがあるけどな
瞑想
彼の言う瞑想と構造からみた俯瞰の方法は実用的だしちゃんとメモして実践する価値はあるだろう。ただし、何もやる気がないのはかわらず。
愛
愛はネットワークのことであるというのもわかる。またそれぞれの本に共通して自己意識の無意味さをといているのもわかる。だからネットワークそのものに興味をもてばいいのもこれらの考えの示唆するところではあると思うが、意義とはべつに自分自身に対する明確なメリットもまとたほうがよいのでは
セックス
何をやるかというのを意識するところはエナジーをどこに使うかという話でもある限り、そもそものエナジーを資源として管理するというのも必要だという気がしていて、もっともわかりやすいのは性欲だろうから、この簡単なところからまずは管理することが大事なのかもしれない。
とはいえ、同じように食欲や睡眠欲を糧にするとしたら、それは脅しともとれるし自我の領域の話になってしまう。例えば、じゃあ人類の食欲・性欲・睡眠欲のことを考えるのも、まあ悪くはないけど。というかこれは情動なのか?だとしたらめんどいのう。
時計
1億円するという時計ほしいなあと思ったらぼくがほしいのは100万円くらいであって現実味をおびた途端なのか、ちょっと気持ちがしゅんとしたのが気になった。これでは単純に「手に入らないから欲しい」というだけであり、いっぱいあるならいらないと捉えかねない。
ただ、ひさびさにものが凄い欲しいという感覚を思い出した。めっちゃ欲しいのがあって、焦がれて、レジで会計をすますのがピークで、その後慣れていく。かれのいうようにゴールがキーだとしたらそれはこういった類の衝動なのかなあと思ったわけ。
記述
いちいちやる、こういうのもそうだけどいっこいっこ記述するのは完全に不完全な方法であり、きりがないのを知っているのだから「non descriptive」なコードに切り替えるとよい。
実感
実際の感覚として、ゴールも命も何の関心もない。感情もあるだけで関心があるとはいえない。この無関心さはエナジーの枯渇か。エナジーがないのは目標物がないからともいえる。だとしたら生存欲求を脅かすか、あるいは自分の生存欲求を人類のそれととられるか。
死
ぼくはほんとにどうでもいいとおもってるけど、かりにとても好きなひとができて、めっちゃ求められたら「よーしパパがんばっちゃうぞー」のノリであっというまに人生に色がつきそうだ。だからといってこの想定で進めるのは無理がある。
色
色盲のひとが色が判別できるようになる眼鏡を初めてかけてbeautifulって言いながら言葉を失ったり泣いたりする、あれは何か素敵だよね。どれも同じような反応なのがいい。しかし、同じようなことってほかに何かあるかな。感動で涙するって、ストーリーを通した同情てきなものならいくらでも思いつくけど、純粋な自分の心の感動って、あまりケースが見当たらなくない?どうだろう?
コロ助
ぼくの人生はまったくもって無駄ナリよ
暇つぶし
youtubeなら何時間でもみれるな。楽しいとも思わないのに。自分とかかわりがないのがいいのかもしれない。
しぬ
なんか頭がふわふわでだるい。
めつぼう
じぶんをころすかわりに人類みたいなだるいものを亡ぼすという思考にいくことはあるのかどうか
コード
行動という言葉がもう古い。VのかわりにM(mediation)を使うことは昨日かんがえたような気がするが記述するという役割をとらえるならcだな。meditation and coding
tomabechi
あのおっさんはやることないひとむけになんか提唱してたっけ。さて。
読書
読書してる時間は生産性がない。何の生産性かは未来による
飽き
ぼくは飽きっぽく3日くらいが限度だと思う。集中力も40分から3日くらいじゃないか。だからthemeも3日以上続かない。変更したくなる。完璧が思想としてあって、それを考えることで補おうとしている
購読
1週間理由もなくご無沙汰ないならもうやめたほうがいいよ
YouTube
アプリを消したら困るかな?少なくてもアカウント再取得して日本語排除してもよいだろう。ほんとはこれにしても全部外国語にしたいのだが、外国語にすると思考がせまくなったり遅くなるような感覚になる。いつかは克服するだろうが。
Youtube 2
外国人のノリはくそだるい
自由意志ってなんやねん
このひとは世界平和っていってるけど、例えばお金持ちとか名誉とかそういうことじゃなくて、もっとお金を稼ぐのに楽な方法を模索し続けるとかそういうことってことは?
>内部表現から頭を突き出し、真の自由意志を獲得する
パフォーマンスをあげる
talent と gift の最大化する方法を模索し続ける
だれのためとかめんどくないか いるのか
mind のトレーニング と metaphysics がある?
語学と哲学で世界を広げる
くらいのノリかな
知的好奇心を満たす
だいたい意味のないテーマいっこでいきるなんてそれこそmetaてきやんけ
実用的かどうかは後付けで
実用的がいいならプラグマティズムとかエロティシズムに傾倒すればいいし
そこらへんは適当でいいのでは
お金ほしいとかセックスしたいとかもういらね
5分やること
・ボードを眺める
・じむで筋トレする
・英語の勉強
・部屋の片づけ
・身支度(歯磨き、シャワー)
・1週間から2週間程度の予定表(紙、ルーズリーフなんでも)
・performance check and goal check
→ todo toutine 設定しとく (眺めるだけでチェックしない)
先にやること
・語学学校の検討
・次の働く先の検討
・アイエルツ申込(4月中)
・PRO CONをiPadにいれる
・草の封印もしくは頻度を落とす(3日に1回くらい?)
・the roadmap from good to great
・object : get cards by continuing a great performance (F)
・purpose 1. see the smile of you and your favorite person 2.see the fulldive zone (S) (Z)
.strategy: play the performance of goal
控えること
・MR
・関係ないこと
変わったこと
pleasureやaparty等は意識しないで 抽象的なことだけにすることで余計なメモリを減らす
discipline大切だけどそれ自体で燃えるものではない そういうことも考えない
勝ち負けもどうでもいいしお金もセックスももはやどうでもいい
さくさくとデイリー単位でどんどんこなしている
職業も手段であるためこだわらなくなった
幸福や快楽というふわふわしたものはさっくりと捨てられる
動詞より名詞で語ることができるので容易になった
成長と献心
これはたぶん前回の記事の続きになるだろうけど
成長と幸福
まあそのあとは心のありようについてもちょっと考えたのだけど
気付いたら
全部 これ 自分だけのことなんだよね
じゃあ このあいまいな 幸福 を
考えから捨て去って
なにか 大きなもの
人類の進化とか宇宙開発とかそういう人たちのスケールで考えられないか って思って
ふと 以前に 成長と献身 ってフレーズを考えていたことを
思い出したわけ
これはまあ どうだろう
セックスとかも 人類の繁栄 というスケールでみたら
献身
人類の存続 と考えたら 暮らしをすることは
それ自身が 献身 であり
ここからどこまで 伸ばせるか みたいな問題になりそうな
気がしている
好きな子にドクドクと中出し なんて
献身 のそれじゃないか
みたいな考え方すれば
成長 と 献身(貢献?) って大分カバーできるような
つかんだところで
いかせなければ 仕方ない の だけど ね
いっさいが有
さすがにこれはダイアリとしての価値がないなーと認めつつ
ポテチ食うのです おいしいから
ブラックカードが届かない 妹のような
浜辺のじゅうたんの上を滑っていく
歴史は友達 経験はsecondary だ
だから歴史 database は 愉しい
成長と幸福 というところに 絶対的な価値観があるとしよう
この場合 成長 の意義について考える必要があるのか
わからないけど
先にindicatorだけ見ると、成長に近づいたか、離れたか、
近づけば 快 で 離れれば 不快
ということよ
つぎに幸福だけど これこそ信じるかわからないけど
だからあえて印象で語るのもありかもだけど
だとしたら
ええと
たぶんだけど
幸福をベースに動くことや 考えることは 必要ない
成長してれば ひつぜんてきに 幸福に なることだ
つまり 成長 という キーワードだけに
疑似的にでも なんでも 関連づけてもいいけど
誠実であることが
クリアーのキーだとして この章は おわりとする
いっさいが無
成功を期待しても無駄。すべてがむだになる。失敗を期待するのも同じ。ぼくはもう結果に責任をともなえない。それが怖れの源泉だ。
このさきぼくは行動にも失敗にも責任をもてない。おそらくやることや、それによって得る感情にも。
やっているときの、予想している感情さえも不確かだから、何もここに約束できない。
例えばOS思想でやるとして、行動にとりかかるまえに切り替えるならば、そもそもこの思考はなかったことになる。
だから僕はこれからは何を求めることもできない。予想はでたらめで生じる結果も過程もでたらめだからだ。
もしもその目的が生命の繁栄であるならばOSが持続すること以外は何一つ興味をもてないし、それがわかっている以上はそういうベースの上の虚無を見ることしかできない。
できるとかできないとかでもなく、それが和であり無であるから論じられない。
論じられないところでも、それは維持されるのであってそれは意思ではなく状態だ。
ここまで来てしまうとほとんど仏教思想みたいになってしまうが、そういうことだ。いっさいが無である。